明日が第4回の俳句講座の最終日になる。
先週は、市の農業センターに出掛けて、その場で
感じたことを五七五に纏めて句を創ることになった。
でも、実際にはその場で感じたことをメモし、
自宅に戻ってから組み立てを行うことになる。
蓮池で子供たちがザリガニ釣りをしていたなぁ~、とか
梅雨なのに雨も降らずに晴天で夏雲のような雲があった、とか
雲の間を燕が飛んでいた、
カエルが鳴いていた、などなど
感じることはたくさんあった。
季語なるものを加えて、情景が浮かぶような句にするのが
いいらしい。
でも、この季語なるものに馴染めなくて、最初は季語があることで
17文字での表現が制約を受けているだけではないのか?と
思ってしまった。
ところが、歳時記の言葉を色々と調べて見ると
特定の時期を表現するのに感性豊かな言葉が色々あることに
気付いてきた。
俳句とは季語によって制約を受けながら、残りの12~14文字で
自由な発想を表現する言葉遊びではないのだろうか?
「・・・ホトトギス」とか「五月雨や・・・」と季語が5文字を
占めると制約はキツく、
残りの12文字で自分の感動を多くの人の共感に繋げなければ
ならないのだから、奥が深い。
俳句で詠んだ情景が分かるように映像化したり、音が聞こえたり、
空間と時間の広がりが感じられるようにするのがいいらしい。
でも、それは俳句のテクニックであって、
本当は
自分の人生が何だったのか?を問われているような気もする。
少し、本気で勉強してみようか?と思い始めた。