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今年から始めた水彩画
年に一度の絵画サークルの作品展を開くと言う。 もう、10年以上のキャリアがあって、 市の美術展で入賞している油絵の人達と一緒に 作品を展示する訳だから、それなりに負い目はある。 でも、そんなこと、気にしても仕方のないことなので 厚かましくも参加することにした。 会場は「なのはな館」と言う、新しく建てられた 市の福祉施設で、広い壁面を使わせて貰うことになった。 以前、陶芸作品を千葉県展に出展していたが、会場が広いと 大きな作品でないと、仲々に存在感が感じられない。 今回も同じことで、会場が大きな施設なので 普段描いているF6号の絵では明らかに見劣りする。 そこで苦肉の策、F6号1枚にB5作品2枚を組み合わせて 展示することにした。 本当はF6号の作品をF12号に描き直そうとしたのだが、 バランスを取るのがとても難しかった。 比例配分で大きくすればいいだけのように思ったのだが、 そうではないようだ。 主題となる部分は比例配分で大きくしてもいいけど、 従となる部分まで大きくなると、主題のインパクトが 薄まるようだ。 いつも勉強しなければならないことの多さに気付き、 打ちのめされるようだ。 ちなみに今回の作品展の案内ハガキは私が作成した。 皆さん、縁があれば、ご覧戴くと幸甚です。 ![]() ■
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by nukuyuu
| 2017-11-18 22:10
| 絵画
絵を描き始めて8ヶ月、経った。
次第に、絵が描けなくなって来た。 最初は、一杯撮りためた写真の中から 美しいものを選んで、それを描けばいい!と思っていた。 でも、描き進めて来ると、写真と絵の違いが 朧げに分かり、次第に難しさが増してきた。 写真は自然の移ろいや人々の営みの中での 「瞬」「旬」を見つけ、個々の感性で 切り取る作業とも言える。 対象となる被写体は既に存在している訳で、 被写体自体が主役なのである。 これに対して、絵は自分の思考の中で 主役を生み出さないといけないのである。 自分が描きたいものは何なのか?を 突き詰めて考え、主役を決めないと何事も始まらない。 自分の思いを感情移入し、 その情念を凝縮したものを描き出していかないと、 人々の共感を得なければならないのではないか? と思ってしまう。 写真はある意味、受動的であるのに対し、 絵は能動的であるようにさえ感じる。 そんな訳で、 絵は自分の思いを凝縮させたテーマありき、なのだと 思うのだけど、そのテーマが見つからない。 ただ単に、漠然をそれなりの風景を描いても そこには魂がこもっていない。 美しく上手に描いてあるだけの絵には 意味が無いようにさえ思う。 そんな訳で、なかなかに筆が進まない・・・ テーマ探しをしていて、ようやくに、 「枯れたひまわり」を見つけた。 夏の盛りを精一杯生きて、 枯れてなお、生きようとしているように思う。 加齢と共に、少し疲れを感じるようになって来た 自分を見出しているのかも知れない。 スケッチをしてみた。 完成への道は遠い・・・ ![]() ■
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by nukuyuu
| 2017-09-13 22:25
| 絵画
絵画のサークルに参加し始めて半年が経った。
油絵が13名で、水彩画は私のみ、 特に指導を受けた感じもなく 紙の素地で白を表す難しさに悶々としながら 黙々と試行錯誤の日々が続いている。 そうだ。 気晴らしに油絵を描いて見ようと思った。 半年間、13人の人たちが油絵を描く様子を 見てきたので、きっと、描ける筈だ。 とは言え、どこまで本気で取り組むべきか? まだ何とも言えないので、オークションで 使い古しの油絵具を手に入れた。 先ずは下地を塗り、背景から色を置いて・・・と、 見よう見まねで色を塗り重ねて行った。 水彩画に比べて、何と、簡単なことのようだ。 油絵が絵画の王道で難しいとは言うものの 多分、それは自分の色を創り出すと言う 上級者レベルの話ではないだろうか? 初心者の油絵は、とにかくペタペタ、 色を置いていくだけでいいのかも知れない。 富士が紅く染まった。 ![]() ■
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by nukuyuu
| 2017-07-20 11:14
| 絵画
草間時彦氏の「俳句十二か月」を読み始めている。
そのまえがきに 「俳句は存問の詩である」と言う言葉が出てくる。 高浜虚子の言葉らしい。 存問(そんもん)とは訪ね、見舞うこと、安否を問うことであって、 「お寒うございます。お暑うございます」と 日常の生活を通じ、人々や自然への問いかけがすなわち、 俳句とのことのようだ。 最近は寒い冬と暑い夏しかないような天候になってしまったのだが、 昔は確かに四季があった。 日本人の細やかな心情は、その季節を更に細かく 二十四節季に分けて、自然の移ろいと人々の営みを現してきた。 たまたま、接した俳句講座を契機に 日本人としてのものの見方や心の持ち方を再認識するように なった気がしている。 話は飛ぶが、Windows10の漢字変換機能 以前から、日本人感覚とのズレが酷いと思っていたが、 俳句歳時記にあるような美しい言葉に接してみると これは由々しき問題だと思ってしまう。 「そんもん」、このような言葉が「存問」に変換されることは ありえない。 大東亜戦争の敗戦で、個人の責任よりも個人の権利主張を 優先する憲法を押し付けられて、日本人の美徳が失われて行ったように、 日本人感覚が崩されているような気がしてならない。 ■
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by nukuyuu
| 2017-07-13 23:24
| 四季
今週始めから、市原市の「総美展」なるものが
開催されている。 今日、昨年油絵を出展していた知人を誘い、 見学に行ってきた。 絵画+工芸作品の112展が展示されていた。 今年から私が参加しているサークルの人たちも 先生を含め、7人の作品が出展されていた。 そうか? 皆んなが必死で描いていたのは、この出展の ためだったのか? 会場で貰った出品目録には総美展の主旨が 以下のように記されている。 「個性を尊重し、常に新鮮にして自由なる表現を基に 市民文化の向上をはかる主旨とする」 でも、実態はどうなのだろう? それぞれの絵画サークルの技倆比較展の側面が あるのではないのだろうか?と思ってしまう・・・ そもそも、絵を描く目的って、何なのだ? 自分が感動したり、誰かに伝えたい!って思ったことを 表現する手段ではないのだろうか? とすると、50号や100号などの大作を創る意味は どこにあるのだろうか? たまたま、会場で昔の会社の知人に会った。 日本画を描いて出展したと言う。 油絵88点の展示に対して日本画は6点しか出展がない。 そこが狙い目で、油絵は競争率が高く入賞の可能性が低く、 そのために、日本画を描くことにしたと言う。 これって、何なのだろう? そんな邪心も見抜けずに賞が与えられるのだとしたら 賞の価値だけでなく、展示会そのものの存在すら 陳腐なものにしか思えない。 他の人の作品を観て勉強しようと思っての見学だったのだが、 思わぬ勉強をしたようだ。 自分の進むべき方向を決める日は、遠くない。 More ■
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by nukuyuu
| 2017-07-06 23:09
| 絵画
明日が第4回の俳句講座の最終日になる。
先週は、市の農業センターに出掛けて、その場で 感じたことを五七五に纏めて句を創ることになった。 でも、実際にはその場で感じたことをメモし、 自宅に戻ってから組み立てを行うことになる。 蓮池で子供たちがザリガニ釣りをしていたなぁ~、とか 梅雨なのに雨も降らずに晴天で夏雲のような雲があった、とか 雲の間を燕が飛んでいた、 カエルが鳴いていた、などなど 感じることはたくさんあった。 季語なるものを加えて、情景が浮かぶような句にするのが いいらしい。 でも、この季語なるものに馴染めなくて、最初は季語があることで 17文字での表現が制約を受けているだけではないのか?と 思ってしまった。 ところが、歳時記の言葉を色々と調べて見ると 特定の時期を表現するのに感性豊かな言葉が色々あることに 気付いてきた。 俳句とは季語によって制約を受けながら、残りの12~14文字で 自由な発想を表現する言葉遊びではないのだろうか? 「・・・ホトトギス」とか「五月雨や・・・」と季語が5文字を 占めると制約はキツく、 残りの12文字で自分の感動を多くの人の共感に繋げなければ ならないのだから、奥が深い。 俳句で詠んだ情景が分かるように映像化したり、音が聞こえたり、 空間と時間の広がりが感じられるようにするのがいいらしい。 でも、それは俳句のテクニックであって、 本当は 自分の人生が何だったのか?を問われているような気もする。 少し、本気で勉強してみようか?と思い始めた。 ■
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by nukuyuu
| 2017-06-23 21:21
| 四季
大型連休の後半、6.7日にかけて
高崎市の孫のところに遊びに行きました。 小学3年生と幼稚園年長組の姉妹です。 年に2回くらいしか会わないのに、 ベッタリ!とくっついて、「じいさんと遊ぶ」、 「じいさんと風呂に入る」と言ってくれます。 じいさん冥利!!に尽きるようです。(笑) 孫たちとは絵や工作が好きなことが共通していて、 相通じるものを感じるのが、その一因かも知れません。 孫たちは自由で伸びやかな絵を描いています。 一般に子供たちは自分の興味を中心に、 感じるものを前面に、大胆に、力強く描きます。 これに大人の知識が加わると、遠近法だの、一点透視図法などの 常識的な概念が入って、平凡な絵になって行きます。 絵は感じるまま、思うままに描くべきだと思うのです。 これに対して、写真は どのようにあがいても、見たままのものが写し出されてしまいます。 不必要な電線や電柱、その風景の中に居て欲しくない出で立ちの人々など、 あるがままの「実態」が写るのです。 「写真は引き算」と言われるように、自分の意図するイメージに 近づける為には、不必要なものが入り込まない カメラアングルを探すのが、重要なポイントになります。 フィルムカメラ時代は、このカメラアングル探しに 時間を使っていた、と言っても過言ではないと思います。 これに対して、絵は「実態」がなくてもいいのです。 「虚」や「空」の存在しえないものを、 「心象風景」としたり、「脳内イメージ」として 描き出すことが出来るのです。 写真の場合は、不必要なものをどんどん省き、簡略化、単純化 していって、明暗のコントラストや色調の艶やかさなどで 表現しようとする傾向にあります。 そして、そんな美しい写真を絵に描いてみると ただ、綺麗な絵になるだけで、何のインパクトも感じないのです。 今年から参加した油絵のサークルで道端に倒れたコスモスの絵を 描いている人がいます。 汚い道路や集められた枯れ草などが背景にあって、 絶対に写真を撮ろうとは思わない風景です。 ところが、絵の力とは、こういうことか?と思うのですが、 倒れたコスモスが再び立ち上がろうとする生命感を 感じてしまうのです。 絵とは「実」ではなく、心に感じる響きを 無の心、「虚」や「空」の中に映し出して描くものではないか?と 思うのです。 写真は「撮る」で、絵画は「映す」ではないかと思う次第です。 ■
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by nukuyuu
| 2017-05-08 22:57
| 絵画
![]() 今年から始めた、絵のサークルの活動日です。 これから先の運動能力の低下に備え、 体育会系以外の趣味も作っておこうと・・・ 先ず考えたのが 楽器を弾くことが出来たら、人生は3倍楽しいだろう・・・と 言うことでした。 何といっても、「楽器」と言う字、そのものが 「楽しい音の器」と書くんだから・・・ でも、「音感」の悪い私には人様に出来ることでも、 私には出来ないこともあるんだ!!と、痛烈な教訓になりました。 そんな訳で、「音感」から「視感」への方向転換です。 元々、写真歴が長いので、撮りためた写真の蓄えもあるし、 構図や遠近感、主題と副題の処理などには慣れているので 何とかなるだろう・・・と 13人の油絵のサークルに参加しました。 半数以上の方が色んな作品展に入選する力量の持ち主です。 私だけが油絵ではなく、水彩画指向なので、かなりのズレがありますが、 下地のつくり方、色の配置など、とても勉強になります。 そんな皆さんの油絵作品作りを見て思ったこと 写真は「真実」を表し、絵は「虚」を描くと言うことです。 詳しくは、また、次に書きます。 ■
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by nukuyuu
| 2017-05-03 21:58
| 絵画
![]() 昨年4月、ものづくりの館をオープンした際にしだれ桃の苗木を移植しました。 この春、暖かくなって、ようやく一輪の花が咲きました。 しっかりと根付いてくれたことを大変嬉しく思います。 さて、ものづくりの館の活動はと言うと・・・、この一年間で根付いたのでしょうか?? 今日、とても嬉しいことがありました。 私のHPを見ての二人目の陶芸教室への入会者がありました。 少し遠い、千葉市からです。 でも、車で45分くらい・・・、1時間以内が希望とのことでした。 それと、土・日曜日の自由な時間で作陶できるも魅力とか・・・ こうして、これからも少しずつ、私の工房にも春が訪れるといいな・・・ もう少し暖かくなったらそばを打って、石窯パンでも焼こうかなぁ~ ■
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by nukuyuu
| 2007-03-31 22:58
| 陶芸
平成19年3月14日(水) 第一回 トンボ玉体験教室を行いました。
初めてのトンボ玉はなかなか丸にならず、苦労しながらの作品づくりでした。 先ずは単色のトンボ玉づくりです。 それぞれが自分の好みの一本のガラス棒を選びます。 バーナーの炎に遠いところから次第にガラス棒を温め、ゆっくりと溶かしながら 鉄心に巻きつけ、丸い形を作っていきます。 比較的簡単で片手で、ゆっくりと回転させながら集中して作業が出来ます。 この単色のトンボ玉づくりは大きさの違いこそあれ、比較的「○」と言う形が出来ました。 ところが次の段階では色々な装飾を施します 細いガラス棒を巻きつけたり、予め花びらのように加工されたピースを埋め込んだりと 両手を使う作業が始まりました。 ところが、右手に注力すると左手が疎かになり、左手に注力すると右手が疎かになったり します。 その結果、多少は楕円形や樽形?になったりしましたが、先生の手助けを得て、作品が 仕上がりました。 ![]() ![]() ■
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by nukuyuu
| 2007-03-15 23:38
| ものづくり
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